「不安」のセミネールについて

 ラカンの仕事を知る手がかりとしては、論文・著作のほかに、30年ちかくにわたっておこなわれたセミネール(セミナー)の記録があります。

 現在フランスのスイユ社から、1年分1巻を原則にその公刊がすすんでいますが、未刊行の部分についてもその記録が残っています。

 スイユ社版で第10巻にあたる「不安」のセミネールは、この未刊行のセミネールにあたりますが、その記録(仏語)はネット上で参照することができます。ELP (精神分析ラカン派)のページで、"Sténotypies complètes, X. L'angoisse" のところをみてください。(その後スイユ版(Jacques Lacan, Le Séminaire, Livre X, Ed. du Seuil, 2004)が公刊されています。2004.08 付記)

***

 「セミネール」の流れ 

 ラカンはフロイトの症例を検討する私的なセミネールを1950年代のはじめからおこなっていましたが、フロイトの技法論を取り上げた1953-54年のものを第一巻と数える数え方が一般的です。「不安」のセミネールは、この第十巻にあたります。

 ラカンのセミネールがパリのサン・タンヌ病院でおこなわれるようになった1953年は、「フロイトへの回帰」を唱えたローマ報告がおこなわれた年でもあります。これに対応するかたちで、セミネールではまず、フロイトのテクストの綿密な読解が試みられます。

技法や自我をあつかったフロイトの論文を取り扱ってのち、3年目の「精神病」(1955-56)のセミネールでは、有名な「排除」の概念が提出されます。4・5年目(「対象関係」(1956-57)「無意識の形成物」(1957-58))ではさらに、この前提となるエディプス・コンプレックスの概念の再定義がおこなわれます。「父性隠喩」の概念や「グラフ」の図式が提示されるのがこの時期にあたります。

6・7・8年目のセミネールでは、フロイト読解の成果を踏まえてさらに議論が展開されます。この時期のセミネールは、軸となる2,3のレフェランス(「欲望とその解釈」(1958-59)では「彼は自分が死んでいることに気づかなかった」の夢および「ハムレット」、「精神分析の倫理」(1959-60)ではフロイトの「心理学草稿」およびソフォクレスの「アンチゴネー」、さらに「転移」(1960-61)ではプラトンの「饗宴」とクローデルのクーフォンテーヌ三部作など)を中心に展開されているのが特徴です。

9年目の「同一化」(1961-62)は、ここまでの議論を総括するとともに、これを論理学、数学を用いて定式化する試みがはじまる重要なセミネールです。トポロジーが大々的に援用されるのもこのセミネールです。

「不安」の問題

そして10年目。「不安」(1962-63)のセミネールは一方で、主知主義的な印象の強いラカンの議論が、表立って情動の問題を取り上げた点で特異なセミネールであったということができます。しかし他方で、ラカンが「不安」についてもつに至った関心は、それまでの議論の延長線上にはっきりと位置づけることができます。

これはひとことでいえば、大他者 Autre の問題化ということです。それまでの議論で大他者は、構造化の前提として、つねにすでに与えられているものとして考えられていました。この審級が、二度にわたる定式化の試みを経て、いまやそれ自体問題になってきます。こうした問題意識は、たとえば「不安は大他者の感覚である」といった定式を導きの糸として展開されてゆきます。

さらにこのセミネールは、欲動といわゆる「対象 a」を明示的に結びつけている点で、続く「精神分析の四基本概念」のセミネールの議論と密接に関連しています。ラカン独自の欲動の対象である「声」と「視線」について説明されている部分は、「四基本概念」の理解を助けてくれることと思います。また1963-64年に予定されながら結局一回しかおこなわれなかった「父の名」のセミネールを準備するような、ユダヤ教の「ショファール(角笛)」を声の機能との関わりで比較的長く論じた部分があるのも注目に値します。